備忘録

人の幸せを祝えなくてもいいと思う

Peace

今、この瞬間でも世界のどこかでは暴動が起きていて、死にたいと呟いている少女が居て、働いている人たちがいて。そこにあるのは果たして"平等"なものなのかと考えて、考えたのだけれど結果は出せずにいる。

どこか違う世界の事のように見えてしまうが、そうじゃないんだよと思ってテレビ画面をしっかり見たり、知らないことは調べてみたり、知らないなりに知っていきたい。

あなたが望む"世界平和"とはなんですか?

私は眠れない夜を過ごさずに朝を迎えられることです。

昇華

すきだったのだろうけれど、付き合いたいとかそういう訳ではなく、ただただすきだったのだろうなと思う彼の話。

彼はとてもかっこよく、優しく、ダンスを習っており、少し頭は弱く、けれどわからないことは素直に質問できる人だった。Universal Studios Japanのダンサーになりたいらしく、高校3年生にして自分で応募方法を調べ、学校を休み1人でオーディションに行っており、心からすごいなと思っていた。結果は残念だったのだが、そのダンサーになるには何回も落ちて当たり前の世界らしく(それでも一次審査は通ったらしい)内心はどうだったのかは分からないがまた来年(1年に1度しかオーディションはないらしく)もチャレンジすると言っていた。

そんな彼に向けていた感情はきっと、憧れや尊敬を伴った感情で、すきだったのだろうなと今でもふとした瞬間に思い出す。接点はほとんどなかったので向こうは私の事なんてきっと覚えていないのだろうけれど、私の中ではずっとずっと素敵なままなのだろうと思う。

あなたの夢が叶いますように、と勝手ながら祈っております。きっとあなたのことがすきだったのだろうと思います。

第三者に評価されるということ

自分の描いた絵を1500人越えの人々に見ていただいたらしい。これは二次創作だからという点がものすごく大きいのだと思うので、どこか他人事のように思っている。

私のすきな曲のひとつに"一人きりロックショー"https://nico.ms/sm20396359という曲があり、その曲中に"どうかな これでどうかな この歌を他人に認めて欲しくて"という歌詞がある。この歌詞の気持ちもすごくわかるし、数日前に知った"ぜろ"https://nico.ms/sm34799315という曲にある"打算は無しにして 君と遊びたいんだ 数字の服を脱いで"との歌詞もすごくわかって、素敵だなぁと思う。"認めてほしい"というどこか後ろめたいというか自信の無い気持ちも、"数字"はなしにして無邪気に遊びたい気持ちもとてもよくわかる。評価数が見えるSNSはどこかしんどく思うこともあるし、実際目に見えなければいいのになぁと思うことも多々あるんだけれど、今回はそういうことを言いたいのではなくてただただ、"たくさんの人に見てもらえて嬉しかった"ということで。その事実が本当に嬉しかったなぁと。

私は私の描く絵がとてもすきだし、それはそのまま付き合っていきたいし、評価のためには描きたくないので(そういう手法があるとわかっている上で、私はそういう手法を取りたくない)この先も"自分が楽しめるように"描いていきたいなぁと思った。

ただただ、それを言いたいがために書いただけなので良かったら曲を聴いてほしいなぁと思う。とても素敵な曲なので。

これからもあなたがあなたの絵を愛していけますように。

セピア

ずっと絵を描いて日々を過ごしていきたいな。
昨日ふと、そう思った。思ったけどすきなことを仕事にはしない方がいいらしい。私もそう思う。すきなものが嫌いになるのってすごくしんどいよね。

お風呂上がりに素足で歩くのがとても嫌で、お風呂場を出てすぐの場所にスリッパを置いているのだけれどたまに忘れてしまう。そのときはとても不快な思いをする。夕方17時のチャイムも死にたくなるのでやめてほしい。

気づいたら猫背になっててしゃんとしなきゃなと思う。自分を愛せるようになったのがここ数年で、それまでは下を向いて歩いてたので自然と猫背になっていた。直していこうね。
薬の影響でお酒は飲めないんだけど、この間ひとくちだけもらった桃チューハイの味が忘れられなくて早く飲めるようにならないかなぁと思っている。自分の口元を見て思い出したんだけれどエクボは神様が突っついたからできたらしい。本当だったら素敵だし、そうでなくてもその考えが素敵。

最近はBUMP OF CHICKENの"真っ赤な空を見ただろうか"ばかり聴いている。https://youtu.be/kv32arwd1Xk
「ふたりがひとつだったなら同じ鞄を背負えただろう」とサビ前で歌い、「ふたりがひとつだったなら出会う日など来なかっただろう」とラスサビ前で歌う、言葉運びがすごく素敵だと思う。サビもとても素敵なのでぜひ聴いてほしい。ひとつ前の記事でもBUMPの話をしてたんだけど最近少しずつ聴いている。優しい言葉選びをされる印象。

ホットケーキを焼いている時間がすきで定期的に焼きたくなる。ホットケーキを焼いているときの匂いって幸せの匂いだと思う。メープルシロップがないと食べないくらいのメープル派だったんだけど、先日バターとイチゴジャムで食べたらおいしすぎてペロッと食べてしまった。そんな自分に心底驚いた。もっと焼いておきたかったんだけどひと袋しか無かったのでそんなに焼けなくて無念。また焼きたいな。

春に咲く桜を見て「死にたいなぁ」と思って1年の始まりを感じるのだけれど今年は見られなかったので、死にきれないまま季節が移ろうとしている。きっと見ようがみまいが変わらないのだろうが気持ちの問題だよね。

次の季節ではもう少し自分を甘やかして、優しくして、程々にやっていきましょう。

拝啓

"君がいたことが宝石になった日"/BUMP OF CHICKEN
https://youtu.be/4Sd3iIdM4Co
昔からすきな曲なんだけど"宝石"になったって、"思い出"になったって意味なのかなぁ…と。君にはもう会えないんだろうなぁと勝手に思ってる。

思えば遠くまで来たんだね。
と数日前、絵を描きながらふと思った。久しぶりにあなたのブログを読み返していて、あぁとてもよく頑張っていたんだなぁと思ったよ。

眠れない夜や不安な夜のお守りが増えてきて、それはとてもいい事だと思った。それと同時に、お守りが増えるということはそれだけの夜をあなたは乗り越えてきたのだということだと気づかされた。指輪にタトゥーシール、ブレスレットにマグカップ1杯分のココア。眠れない夜は眠れないままでいいのだと知ってから心が随分と楽になったけど、たまに訪れる不安感には慣れないね。上手いこと付き合って行ければいいんだけど。目に入る度に笑顔になるからタトゥーシール、また買おうね。お守りはいくつあったっていいんだから。

ムーミンの画集を買ったんだけど、作者のトーベ・ヤンソンが「自分のために描いている」と言っててよかった。昨日見たセーラームーンの作中に出てくる画家は「この絵を見た人が幸せになりますように」と言ってて、ブルーピリオドの森先輩の言葉を思い出した。私は私の絵を見てくれた人の夜に寄り添えるようにって思って描いてるんだけど、夜以外にも寄り添えたらいいな…結局、自分が救われたいがために描いているのだな…と思い知った。そりゃそうだよね。

スケッチブックが4冊目に入りました。今お休みしてるからっていうのが大きいけど今のジャンルにきてから描くスピード上がったね。私が死んだらこのスケッチブックと日記帳とノートをお世話になってるあねに送り付けようって勝手に思ってる。激重。確かに生きていたという証拠と死に価値を見出したいと思ってしまう。

まだまだ描きたいものがある一方で、死にたい気持ちは付きまとっていて、でもそれはたぶん切り離すより上手く付き合って行けるようにした方が吉っぽいのでそうできたらいいね。

過去のあなたのブログを読んで、もう少し自分に優しくしてもいいのかもしれないなぁ…と思いました。ありがとう。

終わりの会

私の"神様だった"人の話

その人の音楽がだいすきで、救われていた。初めて買ったCDはその人の1stアルバムで、初任給で買ったのは2ndアルバムだった。受験のときにも何度も励まされ、救われた。

今年かな。と思ったら2年前からだ。曲調が変わったんだよね。それは周囲も言っていたし、御本人も今までのような曲じゃなくて新しい場所に行く(あくまでニュアンス)的なことを仰っていた。それを聴いても私は「そうなんだ。」としか思わなかった。だって神様だもん。ちょっと変わったくらいで離れるはずないでしょって。思ってたんだよな。もう2年か…早いなぁ

きっとこの先も神様の曲がすきだと感じていたんだけど3rd アルバムが発売されるってなって。ずっと待ってた神様のアルバムだったの。でも、クロスフェードを聴いて あ、買わないかもしれない。って、思っちゃったの。神様のアルバムなのに。ずっと楽しみに待ってたのに。そこから"神様"が"人間"になったんだよなぁ。

私の神様だった人は、少し繊細で病みやすい方で、それが曲にも反映されていて、それに共感をして救われていて。でも新しい曲調は相変わらず鋭いんだけど明るめな感じで。きっとそうなったのは心が健康になった証拠で、喜ばしいことなんだろうけど、でもそれでも私は"優しい人になりたい"と叫んでいたあなたの曲がすきでした。

書いていて思ったけど、神様とお別れをするのに2年以上もかかったんだね。

あなたは間違いなく、私の青春でした。

辛かった受験も、思い描いていた現実とのギャップで苦しんだ日々も、あなたの音楽に支えられ、救われ、乗り越えてこられました。

2年以上もかかりましたが、これにて終わりの会を終わります。約6年間、ありがとうございました。あなたのおかげで私の世界はとてつもなく大きく広がりました。

あなたの音色

一時期書いてた一言日記みたいなのが出てきて懐かしんで見てたら最後の日記に、"あのこの、力強くて、でも優しさもあるピアノの音が本当ににだいすきだった。もう会うこともないと思うけど、勝手に距離を感じてたのは自分やったね。"って書かれてて、なんとも言えない気持ちになりつつ、でもそうよねって。

その子は少し厳しいおうちの子で、文武両道、才色兼備だった。なのにお高くとまっている訳ではなく、誰にでも優しく、でも陰口も言い(意外だった)そんなギャップがだいすきで彼女と話をするのがだいすきだった。彼女に「なんでやねん」と満面の笑みで言われるのもだいすきだった。

彼女に好かれている自覚はあったし、私も彼女がだいすきだった。メールもLINEもしてたし、毎年誕生日には連絡もくれていた。一度、"今日遊べる?"と誘ってくれたこともあった。あのとき遊んでたらなにか変わっていたのかな。当時の私はそんな完璧な彼女のことがすきでありながら引け目を感じて一線を引いていて、どうしてもその線を超えられなかったのだ。

どんなに綺麗な音色に出会っても、どんなに感動を覚えても、あなたの音色を思い出します。いつも笑顔のあなたが、ピアノになると真剣な顔で、力強く、でも優しくてあなたの芯の強さが溢れ出ている音色がだいすきでした。きっとずっとこれからも私はあなたの音色を思い出します。

今月末、ピアノのコンサートに行ってきます。きっと楽しいことになるだろうと思いつつ、あなたのことを思い出すんだろうなぁと思います。

隣に来てくれたのに、勝手に引け目を感じて、遠ざけてごめんね。